東京高等裁判所 昭和54年(ネ)2933号 判決 1981年10月29日
控訴人
山田春子
控訴人
山田秋夫
控訴人
小川ふみ
右控訴人ら訴訟代理人
三森淳
外二名
被控訴人
山田ヨネ子
右訴訟代理人
奥山滋彦
外一名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取り消す。昭和四六年一二月二七日東京都町田市長に届出てなした被控訴人と亡山田太郎(本籍東京都中央区○○○)との婚姻は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係は、次に付加するほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
一 山田太郎(以下「太郎」と表示する。)と被控訴人とが昭和四六年一二月二七日届出てした婚姻は、婚姻届という形式に仮託し他の目的に到達するための方便としてなされたもので、社会通念上夫婦関係の本質を有しないから、婚姻意思を欠くものとして無効である。すなわち、右婚姻に際しては、被控訴人が専ら太郎の莫大な財産を独占することを目的としていたばかりでなく、太郎は、昭和四一年八月四日妻花に先立たれ、その後従前の家事手伝い(通称たか)が他に嫁いだため、被控訴人に対したかに代つて家事手伝いをすると共に自己のお抱え運転手の役割を果して貰うことを目的として、右婚姻届を提出したものであつて、右二人には社会通念上の夫婦関係を営む婚姻意思はなかつたのである。
二 また、太郎は、右婚姻届出当時、八二歳という老齢であつたばかりでなく、昭和四六年以来第四期の潜伏梅毒に罹患していたため、著しく記憶能力、判断能力を喪失しており、生活の利便のためという子供にも等しい幼稚な判断に基づいて婚姻届に及んだのであつて、婚姻の意思能力を欠いていたから、右婚姻は無効である。
(被控訴人の主張)
一 時機に後れた攻撃方法の却下申立
控訴人らは、控訴審における当事者双方の本人尋問が終了した後である昭和五六年五月二八日の第八回口頭弁論期日に至り、右一、二の新主張を提出したが、太郎の婚姻の目的及び太郎の意思能力は、太郎と同居していた控訴人らにおいて当然知つていたか又は容易に知り得る事実であり、かつ、右新主張につき審理するためには更に期日を重ねることが必要となる。したがつて、右新主張は故意又は過失により時機に後れて提出された攻撃方法で訴訟の完結を遅延させるものとして却下されるべきである。
二 新主張に対する答弁
控訴人らが新たに主張する事実はいずれも否認する。太郎の婚姻の目的が被控訴人と社会通念上の夫婦関係を営むことにあつたこと及び太郎が被控訴人との婚姻当時完全な意思能力者であつたことは明白である。
(証拠関係)<省略>
理由
一控訴人らの当事者適格ないし確認の利益について
1 本訴は、亡山田太郎の子である控訴人山田春子、同小川ふみ(以下「ふみ」と表示する。)、養子である控訴人山田秋夫が太郎の妻である被控訴人を相手として、太郎と被控訴人間の婚姻の無効確認を求める訴訟であるが、本件訴訟とは別個に、被控訴人が控訴人春子、同ふみを相手として、右両控訴人と太郎及びその妻花との間にいずれも親子関係が存在しないことの確認を求める訴が係属し、また、控訴人山田秋夫が検察官を相手として、同控訴人と太郎間の離縁が無効であることの確認を求める訴が係属し、右訴訟に被控訴人が補助参加していることは、後記二7に認定するとおりである。被控訴人は、右別訴において主張反論しているとおり、控訴人春子、同ふみは太郎と花との間の子ではなく、また、控訴人秋夫は太郎の養子ではないから、控訴人らはいずれも本訴の原告適格ないし確認の利益を欠いているものであると主張するので、以下に考察する。
判旨控訴人春子、同ふみが太郎の子であり、同秋夫が太郎の養子であることが控訴人らの本訴における原告適格を基礎付けるものであることは明らかであるが、そのような控訴人らの身分の存否が別訴で争われている場合、別訴の判決で右身分の存在が確定されない以上、控訴人らの本訴における原告適格を肯認することが許されないかが問題となるが、当裁判所は、控訴人らは、(養)親子関係が親子関係不存在確認及び離縁無効確認の別訴で争われている以上、まず別訴で自己の身分を確定した後でなければ、本訴を提起遂行する原告適格を有しないものと解すべきいわれはなく、別訴と本訴とは、併存し得るものと解する。けだし、(1)本訴のような身分関係を基礎とする人事訴訟(以下、この段においては「本訴訟」という。)において、別訴で前提となる身分が争われる以上、必ずまず別訴の判決によつて当該身分を確定した後でなければ、本訴訟の原告適格が生じないものとすれば、本案の審理と一応別個の前提問題である訴訟要件の一つとして自由な証明で足りると解される当事者適格の領域に、もつとも厳格な証明を持ち込むこととなるところ、本訴訟の訴訟物が人の身分関係であるからといつてこれを首肯することは充分な理由とはならないこと、(2)なるほど、別訴の判決による確定を俟たないで原告適格を基礎付ける原告の身分を肯定する前提に立つて本訴訟の判決をした場合、当該前提判断と後になされた別訴の判決の判断が牴触することがありうるが(この結果を回避しようとして両個の訴訟を併合審理しようとして、人訴法七条二項但書、二六条の規定を類推して、一般に右各法条に定める数個請求と同じような関連性または先決的関係の存するときは併合を認めるという解釈を採つても、右解釈は本件のような訴訟の併合の許容にまでは及ばないと解される。)、もともと、当事者適格の有無は、本訴訟の訴訟物判断の基準時点の資料に基づいて決せられるべきであつて、本訴訟確定後、仮に本訴訟の当事者適格の判断と牴触する別訴の判決がなされたとしても、右別訴の判決を事実認定の資料として本訴訟の判決の効力(当事者適格の判断の誤りに基因する)を問題とする余地があることは格別、別訴の判決の既判力の効果として、本訴訟の訴訟物判断の際に存した当事者適格が当然に遡つて消滅することになるいわれはないこと、(3)本件のように一方の訴訟の結論が実質上他方の訴訟の原告適格ないし補助参加人資格の存否の判断にかかわるという相互関係にある場合に、一方の訴訟の結論が判決で定まらなければ他方の訴訟の原告適格ないし補助参加人資格を判断すべからざるものとするときは、いずれの当事者の身分を先に確定すべきかを決し得ず、両訴訟とも進行させ得ない事態が生ずることとなること、敷衍すれば、別訴たる親子関係不存在確認ないし離縁無効確認の訴において勝訴の確定判決を得た後でなければ、控訴人らは被控訴人に対し本件婚姻無効確認の訴を提起遂行する当事者適格を有しないこととなると共に、別訴(別訴において被控訴人が太郎の妻であることが争われていることは推測するに難くない。)においては、本件訴訟において被控訴人が勝訴の確定判決を得て太郎の妻たることが確定した後でなければ、被控訴人は別訴につき当事者適格を有しないこととなる筋合であり、結局、裁判所は、両訴訟とも進行させ得ないという背理に陥ることとなることを彼比考えると、別訴による身分関係の確定を待つことなく、本件訴訟において必要な審理をして当事者適格の基礎となる身分を認定すれば足りるというべきだからである。
2 そこで、太郎と控訴人らの(養)親子関係の存否について判断するに、<証拠>には右両控訴人と太郎との間に親子関係が存在しない旨の記載があるが、右書証をもつては未だ戸籍の記載が真実に反し、右両控訴人と太郎との間に親子関係が存在しないことを肯認するに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、太郎が届出てした控訴人秋夫との離縁が無効と認められることは後記二5の認定事実に照らし明らかである。それ故、控訴人らは、本訴の原告適格を有するものと判断すべきである。
3 被控訴人は本訴の確認の利益を争うが、該主張は、控訴人らがその身分上右利益の帰属者たりえないというのであり、主張の実質は控訴人らの身分に基づく原告適格を否定するに帰するものであるから、確認の利益につき改めて判示すべき限りでない。
二婚姻の成立及びこれをめぐる事情について
<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 山田太郎(本籍東京都中央区○○○、明治二二年一月二四日生)は、戦前から呉服商を営んでおり、昭和四〇年七月一五日手織紬並びに手織製品の製造販売などを業とする株式会社山田(以下「山田」という。)を設立し、その代表者となつたが、昭和四一年八月四日妻花に先立たれた。
控訴人山田春子(大正五年一二月八日生)は戸籍上太郎の長女であり、控訴人小川ふみ(大正一五年五月九日生)は戸籍上太郎の二女であり、控訴人山田秋夫(昭和一八年三月一三日生)は控訴人春子の長男である。控訴人ふみは小川照男のもとに嫁いだが、控訴人春子は昭和一九年夫(太郎の婿養子)山田四郎に戦死され、控訴人秋夫と共に太郎夫婦と生活して来た。右花の死亡当時、太郎、控訴人春子、同秋夫の三名は、家事手伝いの通称たかと共に港区○○○所在の家屋(敷地面積一六六六平方メートル余)に居住し、控訴人春子と同ふみは太郎を補佐して山田の仕事に従事していた。
2 他方、被控訴人(昭和四年六月二四日生)は、大森良二と婚姻し、昭和四四年当時○○自動車販売株式会社○○営業所に勤務し、自動車のセールスに従事していたところ、同年三月ころ控訴人なるが被控訴人を通じて自動車を購入し、その代金を太郎が支払つたことから太郎と知り合い、その後も太郎方に出入りし、次第に太郎と親密な間柄となつて行つた。すなわち、
被控訴人は、昭和四五年の正月太郎方に年始の挨拶に赴き、同年五月控訴人秋夫の惹起した業務上過失致死事件について弁護人を紹介し、同年五月二二日夫大森良二と協議離婚し、同年七月太郎方へお中元の挨拶に赴いたとき、興信所の者に尾行されているので身を隠したいとて、その後約一週間太郎方に滞在し、同年秋ころ病気になつた太郎の見舞いをし、そのころ太郎から求婚され、同年暮太郎から着物一枚の贈与を受け、翌四六年三月過ぎには前記勤務をやめるに至つた。
3 控訴人らは、山田の得意先の者から、「太郎が被控訴人との結婚を考えている様子である。」旨聞かされ、更に太郎から直接、「被控訴人と結婚したいので了承してほしい。」旨告げられたが、太郎と被控訴人との年令差(四〇歳の差がある。)や興信所を通じて調査した被控訴人の身上関係が芳しくなかつたことなどから、被控訴人は太郎に対する愛情からではなく、太郎の財産を目当てに結婚するものと考え、二人の結婚に強く反対した。
そして、控訴人春子は、二人の結婚を阻止すべく、昭和四六年六月初旬ころ、被控訴人の前夫大森良二方に電話し、電話口に出た同人の兄に被控訴人の悪口などを告げたりしたが、そのことが太郎へ伝わり、控訴人春子が太郎から強く叱責されることとなつたばかりでなく、かえつて、二人を結びつける結果を招来し、二人は連れ立つて二日間の宿泊旅行に出かけ、そのころ、被控訴人は太郎との結婚を承諾し、太郎は東京都狛江市所在の被控訴人の住居へ出向いて宿泊したり、被控訴人の姉と弟方へ赴いて被控訴人と結婚する旨挨拶したりした。
4 これより先、太郎は、昭和四五年一二月前記白金台の土地建物を三億三〇〇〇万円で処分し、その代金で渋谷区神宮前に事務所兼賃貸マンション用の建物を、世田谷区中町に居宅を購入し、控訴人春子、同秋夫らと右中町に転居し、山田の本店も白金台から右中町に移転し、現実には神宮前の建物の一部を山田の事務所として使用していた。その後、太郎方の家事手伝人たかは結婚して太郎方を出た。
ところで、太郎は、被控訴人との結婚に対する控訴人らの反対を考慮し、昭和四六年六月一一日控訴人秋夫と養子縁組の届出をし、そのころ山田の代表取締役を同控訴人に譲つて自らは会長となり(但し、山田の実権は太郎が握つていた。)、次いで同年一一月一〇日、太郎が被控訴人と結婚して新居にすべく世田谷区上用賀に建築中の家屋及びその敷地は被控訴人に遺贈するが、その余の太郎の財産は控訴人なると同秋夫に遺贈する旨の公正証書遺言をした。そして、被控訴人も、太郎の求めに応じて、同年一一月一日、太郎と婚姻した後に太郎の遺産につき遺留分放棄の手続をすること及び山田の経営に一切干渉しないことなどを内容とする誓約書を作成した。
5 そして、同年一二月二四日、太郎と被控訴人とは世田谷区立玉川区民会館で太郎の弟山田正六夫妻の出席を得て結婚式を挙げ、前記上用賀の新居で同居し、同月二七日東京都町田市長に対し婚姻届を了した。翌昭和四七年一月ころ、太郎は、控訴人らを含む親戚の者約二〇名を招いて、港区芝増上寺山門内の料亭醍醐で被控訴人と結婚したこと及び控訴人秋夫を養子としたことの二つを披露する趣旨の宴を催した。控訴人らは、被控訴人に敵意を抱いていたため、右披露宴の際も被控訴人とは口もきかない有様で、被控訴人を無視し、太郎が急逝するまで上用賀の被控訴人方には赴いたこともなかつた。
控訴人秋夫は、前記業務上過失致死事件で実刑の判決を受けて昭和四七年七月服役し、昭和四八年六月二八日出所したが、翌昭和四九年四月二四日失火により前記世田谷区中町の居宅を焼失したうえ、同年五月ころ年上のスナックのマダムと交際して太郎の怒りを買つた。太郎は、同年五月二五日右控訴人に無断で同控訴人との離縁届を提出し、同年八月三日全財産を被控訴人に遺贈する旨の新たな自筆証書遺言をし、翌昭和五〇年六、七月に、控訴人ふみを山田の取締役から解任し、控訴人秋夫をして山田の代表取締役、更には取締役を辞任させ(控訴人春子は同年五月取締役を退任した。)、太郎自ら代表取締役に就任した。
6 被控訴人は、婚姻後毎日自己の運転する自動車で、上用賀の自宅から前記神宮前の山田の事務所まで太郎を送迎していたが、控訴人らが山田の役員をやめた後山田の取締役に就任し、太郎と共に山田の仕事に従事した。
太郎は、昭和三六年五月当時顔面神経痛、糖尿などの特病を有し、第四期の潜伏梅毒に罹患していたが、比較的元気で、実際の年令より一〇歳位若く見られることが多かつたばかりでなく、記憶力、思考力もさして衰えることなく、昭和五〇年一〇月二九日心不全で急逝するまで山田の経営に当つており、太郎の梅毒罹患の事実は昭和五六年五月ころまで医療関係者以外の者は全く知らなかつた。
7 太郎の死後、その遺産相続について控訴人らと被控訴人との間に紛争が生じて遺産分割の調停(東京家庭裁判所昭和五二年(家)第四五七八号)が申立てられ、それに関連して、昭和五三年三月二八日、被控訴人が控訴人春子、同ふみを相手として右両控訴人と太郎及びその妻花との間にいずれも親子関係が存在しないことの確認を求める訴(東京地方裁判所昭和五三年(タ)第一四四号)を提起し、これに対応して、控訴人らが被控訴人を相手として本件婚姻無効確認の訴を、控訴人秋夫が検察官を相手として前記離縁が無効であることの確認を求める訴(同庁同年(タ)第三二八号)を提起し、被控訴人は検察官に補助参加した。前記親子関係不存在確認訴訟は未だ第一審に係属中であるが、前記離縁無効確認訴訟については控訴人秋夫勝訴の第一審判決がなされたものの、被控訴人から控訴の申立(東京高等裁判所昭和五五年(ネ)第四一三号)がなされ、該事件は控訴審に係属中である。
以上の事実を認めることができ、右認定を覆えす証拠はない。
三婚姻無効の主張について
1 被控訴人は、控訴人らの当審における婚姻無効に関する新主張は時機に後れたものとして却下されるべきである旨申立てる。しかし、太郎の婚姻目的についての新主張は、すでに原審において控訴人らが太郎と被控訴人の婚姻意思の欠缺を裏付ける間接事実として提出していた被控訴人の婚姻の目的に関する主張を太郎の婚姻の目的の面から補充し、「婚姻届が単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないから、婚姻は無効である。」という法律構成をしたものであるところ、原審における主張関係のもとにおいても、太郎の婚姻の目的なるものを補充しさえすれば右のような法律構成は可能であつたもので、右法律構成の素地は原審における主張関係の裡に存在していたものというべく、したがつて控訴人の新主張は被控訴人においてその提出を予測しえないものではなく、右主張の提出によつて被控訴人が全然新らたな防禦を余儀なくされるものでないことをも勘案すれば、右主張の提出を時機に後れたものということはできない。
また、太郎の本件婚姻当時の心神の状況は、「太郎が老令であり、既に性的に不能であり、このような面から太郎の婚姻は婚姻意思を欠く。」旨の原審における控訴人らの主張をめぐる当事者の攻防の焦点の一つとされていたものであり、太郎の意思能力についての新主張は、控訴人らが昭和五六年四月過ぎに至り、かつて太郎が入院治療を受けたことのある東京大学付属病院物療内科から太郎のカルテの写を入手し、該カルテに太郎が昭和三六年五月入院して諸検査を受けた際、第四期の潜伏梅毒にも罹患していた旨の記載が存したことから、右記載に基づき主張されるに至つたものであることが窺われ、右は従前の主張の自然の展開であり、具体化であると解せられる。したがつて、右新主張をもつて時機に後れた攻撃方法と断定することも困難である。
のみならず、控訴人らの当審における新主張が格別訴訟の完結を遅延させるものとも認め難いから、被控訴人の右申立ては採用することができない。
2 そこで、以下被控訴人及び太郎の婚姻意思並びに太郎の意思能力につき判断する。
(一) 婚姻意思について
控訴人らは、被控訴人は太郎の財産を独占することを目的として、太郎は被控訴人に対し家事手伝い及びお抱え運転手の役割を期待して婚姻したものであつて、右二人に真の婚姻意思は存しなかつたことを前提として婚姻は無効である旨主張する。
被控訴人との婚姻後、太郎が婚姻前にした公正証書遺言を取り消し、自己の全財産を被控訴人に遺贈する旨の自筆証書遺言をしたことは前記認定のとおりであるが、被控訴人が太郎に対する決定的影響のもとに右新遺言をさせたことを肯認するに足りる確実な証拠はなく、かえつて、前認定の事実によれば、控訴人秋夫の度重なる不行跡と婚姻後における控訴人らと太郎及び被控訴人との間の確執が太郎の心境に変化をもたらし、被控訴人のなにがしかの慫慂もあつて右遺言がなされるに至つたものと推認されるから、太郎の死後被控訴人が控訴人春子と控訴人なるに対し太郎との間の親子関係不存在確認の訴を提起したことを考慮に容れても、被控訴人が当初から太郎の財産の独占を目的として婚姻したものということもできない。もつとも、太郎との結婚を決意するに当り、被控訴人が太郎の財産を少からず斟酌したであろうこと並びに太郎が被控訴人に家事及び身辺の世話(被控訴人運転の自動車に乗車することを含む。)をも期待していたであろうことは推測に難くない。しかし、婚姻に際し、女性が配偶者となるべい男性の資産を考慮し、男性が配偶者となるべき女性に家事や身辺の世話などを期待するのは自然なことであつて、これらは婚姻意思を欠くことの証左となるものではなく、寧ろ積極的に婚姻意思の存在を推認させるものというべきである。
また、控訴人らは、太郎及び被控訴人は共に性的不能者であるから右両名間の婚姻は婚姻意思を欠く旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠は存しない。のみならず、性的結合は婚姻の重要な一要素となるものではあるが、婚姻の必須不可欠の条件であるということはできないから、仮に二人の間に性的結合が存しなかつたとしても、そのことから直ちに二人に婚姻意思が存しないものということはできない。
結局、右二人に婚姻意思が存しなかつたことを推認させるに足りる証拠はなく、かえつて、前認定のとおり二人は、知り合つてから約二年六か月にわたる交際期間を経、その間控訴人らが二人の婚姻に反対したことが一層二人の間柄を親密なものとして二人の婚姻意思を確立強化し、結婚式を挙げた後婚姻届を了し、太郎が死亡するまで夫婦として共同生活をして来たものであつて、被控訴人と太郎の二人に社会通念上の夫婦関係を営む婚姻意思が存したことは明白である。
(二) 太郎の意思能力について
昭和三六年五月当時太郎が第四期の潜伏梅毒に罹患していたことは前認定のとおりであり、そのころ太郎がこれを治療して完治したものか、それともその後も梅毒に罹患したままであつたのかは明らかでない。しかし、その当時においても、被控訴人との婚姻当時においても、梅毒のために太郎の意思能力が影響を受けていたことを窺わせる状況は全く存在しない。のみならず、前認定のとおり太郎は、被控訴人との婚姻に際し、控訴人秋夫と養子縁組の届出をしたうえ、公正証書遺言をするなど周到な準備をし、また、心不全で急逝するまで山田の経営に当つて来たものであつて、通常人と全く変つていなかつたことが明らかであるから、右婚姻当時完全な意思能力を有していたものと推認される。
四以上のとおり、控訴人らの主張はいずれも採用し難く、被控訴人と太郎との間の婚姻は有効なものと認められるから、右婚姻の無効確認を求める控訴人らの本訴請求は失当として棄却すべきであり、右と同旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がない。
よつて、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(蕪山厳 浅香恒久 安國種彦)